小中学生のまだ声変わりもしてないひれちゃんがコスモス合唱してるとこ想像したら何か泣けちゃうよな。
遠い時代のなごり きみは宇宙……。
合唱コンク〜ルもいいけどそうではなく
音楽の時間でも恐らくは吹奏楽部の活動でもなく
ただふたりだけでふるさと一緒に演奏できるよう練習してたひろれもだいぶクる。
そのときのことをずっとずっと覚えてる降谷さんもさあ……。
景光はたぶん、「忘れていいよ」も「覚えててほしい」もどちらも言わないし願わないんだろうが
ただ降谷さんは生涯大事にし続けるのだろうな……。
降谷さんの方も「“そっち”から見ていてほしい、見守っていてほしい」とは言わないし願わないじゃん。
でも景光は今も隣で見ているじゃん……。
願われたからでも頼まれたからでもなく、ただただお互い相手を想っている。
すげえよな、死すらふたりを分つことできないんだから。
だからかなしいことなんてなにもないんだよな という期。
オシカプ一生一緒にいてくれ妖怪だから、お別れを是としたりさよならが美しいという人とは感性が合わん
青春のその先でも一緒にいてくれ オシカプ。
ていうかそういう妖怪だからこそひろれのこと好きなんじゃん!?って唐突に気づきを得た。
ずっと一緒にいるために必要なのは幼なじみや親友という属性ではなく運命なんてものでもなく、
相手と一緒にいようとする互いの意思と思いやりと努力だから……。
それが20年続いてるひろれ(の関係性)、私の理想の一つなんだな……。
だから好きじゃん……そうか……今更の気づき……。
以前、所謂幼なじみタイプの負けヒロインは幼なじみであることにあぐらをかいてるからいけないみたいな論説見かけたことあるけど(幼なじみ好きとしてはうるせ〜!!だけど)、
そういうとふたりはまったく自分たちの積み重ねてきた時間と築いた関係性にあぐらかいてない、ように見えるもんなあ……。
その論説はうるせ〜〜!!だけど(2回目)(幼なじみ過激派)
あぐらかかないふたりのことが好きだな……とは思う。