降谷さんのキャラ性について

ぜろしこやハロ嫁の降谷さんの威圧感大好きだから、ゼロティーWPS見て根っこは穏やかというかわりと素朴なんだなあって驚いたし、幼なじみの前だと何かふわふわしとる!!!ということに後ろから殴られて気絶したまま起き上がれない。


降谷さんはヒーロー/主人公タイプではないと思ってるんだけど、ダークヒーローともまた違うしそれが私の中ではすごく新鮮で興味深い。
何だろうな設定としてはいかにもなフィクションのキャラクターなのに、ずっしりとした現実感を併せ持ってるようなの……ハムのリアルなんて知らないけども……。

遵法精神だからか、休みなく働いているからか、大切な友人たちを亡くしてるからか……。
あのひとあんなにチート性能持ちなようで、主人公補正というやつはないんだよなあ……主人公ではないから……。
しかし敵でも味方でもなく……何だろうな……。

何だろうっていうか、原作者先生は降谷さんをどうしたいんだろうな……これからどうしていくんだ……。
もう映画2本スピンオフ2本で原作から切り離して独立しちゃってるし人気もあるあのひとに、あくまでも(あくまでも!)主人公はコナンくんのあの物語で、どういう役割を課すのだろうね……。


あーそうだな降谷さんのことがわからないんじゃなくて、そのキャラクター性は理解/愛することはできても、
原作物語においての役割が宙ぶらりんというか噛み合ってないというか、今のところ理解/納得できないからモヤモヤする……のかなあ……。

これって景光にも同じことが言えて、景光の最期について彼ならそうするだろうなそりゃあ……って納得はできる、けどそれはあの原作物語においてどういう意味があったの?あるの?っていう納得は全然できてないぞ、っていう……そういう……。

その意味や意図が提示されたところで納得できるかどうかまた話は別だけど、今のところ提示すらされてないしその予定があるのかもわからんからな……。
せっかくこんな魅力的なキャラたちを生み出したのだから、ころさないでほしいものだけれど……。


物語のためのキャラクターか、キャラのための物語かは作品にもよるし、読み手の趣味主観によっても捉え方は異なるだろうけど、個人的にはどちらにしても納得いくものであれ……と思っている という話。
納得はすべてに優先するのでね……。

今までハマってきた作品、推しの生死に苦しみながらもでもそういう物語なんだよな〜〜って“わかる”からこそ、その物語たちを愛してこれたので。
けど景光の死も景光や同期たちの死を背負って戦う降谷さんも、“原作”においては本筋ではないと一応わかってるつもりだから、意味や納得を求めてもしょうがないのかもね とも思う。


降谷さんのキャラ性を愛することと、原作においての降谷さんもといあむぴの物語的役割を愛することって別だなあ……って何か去年から考えてたことの答えが少し見えた気がする。
分けて考えた方がいいんだな たぶん……。
なんつうか生まれも育ちも変なキャラクターだな、降谷さん……良くも悪くも……。