レシピ+を見た


●冒頭カラーページのポアロサンドのとこ、
「彼の持ついくつかの顔の中でもっとも街の人に愛されている姿の名は安室透という」
がそれはそうなんだろうけど……けどさあ………………
と何とも言えない気持ちになった。

ゼロティー見てたらほんとにそうなんだろうなってのはわかるんだよ。
まちのひとたちを愛し愛されてる安室透……。
あむぴだから出来ること……降谷さんでは出来ないこと……。

何だろうほんとうまく言えないな……あむぴが街の人に愛されてるのは嬉しいことだ……。
でもいつかはいなくなってしまうのであろうことが……やっぱ寂しいよな……。

ゼロティー見てたら降谷さんが安室透でいることの意義が、色んな意味ですごく大きいよなって思うから。
どうか諸々終えた後もその顔を捨てないでほしいなあ……と勝手に願ってしまうな……。



●レシピ+、こう見たら食事のシーンってこんなたくさんあるんだなあてのと
どれも描写がうまそう〜〜だし愛が溢れててすごく良かったな……。
でもあむぴがいるコマはほとんど載ってないんだな……。
とことん本編ではあの人が何かを食べるシーンって描かれてないんだなあ。

ゼロティーでの印象が強いから何かふしぎだけど、
むしろゼロティーでの降谷さんの大食らいぷりにビビるのが正しい順序(?)なんだろな……。

しみじみ本編では見ることはない、見せられない降谷さんの姿を
たっぷりじっくり見せてくれたゼロティーには感謝しかないな……。

もう見ることはできなくても、今日ももりもり自炊して
おいしくご飯食べてる降谷さんを想像することができるのは幸せなことだ……。


あと“降谷さん”の手料理のお裾分けもらえるゆうやも、
“安室透”に手料理を振る舞える梓さんもつよすぎるな……改めて……。

思い出に勝る調味料はない、けれど……
楽しく自炊することも、誰かと一緒においしくご飯を食べることも降谷さんはできるんだ……。
それはとても……いいことだなあ……。


幼なじみが作ったご飯を食べることも、同期たちと食卓を囲むことも
もう二度となくたってさあ、思い出は今も生き続けてるし
教わった料理は自分で作って食べることもポアロで振る舞うことも楽しくて、
きっと生きる糧となっている……愛だよなあ……。

降谷さんがそうやって元気に生きてることそのものが
もうひろれ〜じゃないですか?と私はマジで思います 愛。


いつかゆうやや梓さんたちとおいしくご飯食べたことも、降谷さんの中で大切な思い出になるといいな。
かなしい意味ではなく、同期たちとの思い出の代わりでもなく勝るわけでもなく。
ただひとつ、またひとつ愛おしむものが降谷さんの中で増えていけばいいな。
これからも生きて、数えきれないぐらいの食事をする上で。