今年のカフェ絵について

愚痴。


去年のカフェ絵と同じ人が描いてるってマジ?
不快や怒りを通り越して恐怖を覚えるな……こわい……。

降谷さんの怒りや憎しみが茶化されるの本当に我慢ならないんだけど、
他でもない作者先生が直々にされてるから地獄。

和やかに話してる方がそりゃ嫌だし、怒ってる方がまだマシかもしれないけどマシって何だ。
降谷さんの感情を茶化されるのもなかった(あるいは浄化した)ことにされるのも、
どちらにせよ結局軽んじられてるなあと思う、私は。


作者先生も公式もファンにとって都合のいい道具ではないし、
生み出したキャラクターをどう描くかの自由も権利も作者先生にある、それはそう。
合わないならバイバイだね。
かなしい話だ。

フィクションのキャラクターに人権などないしファンの心を徹底的に弄びまーす!!
って悪意があることを隠さずにいてくれるなら
悪趣味だけどいっそ痛快だなと思うのに(某ゲームのように)
たぶん、おそらく、先生に悪意はないんだろうなって思うから逆にこわくてこわくて……マジでこわい……。


扱いきれないなら、あんなおかしい因縁付け足さなければよかったのではないでしょうか。
宮野姉妹のことも降谷さんのこともさ……。

お姉ちゃんのことも何もかも隠されたまま盗聴されてる哀ちゃんも
軽率に素顔で出歩かれるたびに命を脅かされてるキール
狩るべき相手は何ら見誤ってないのに未だ私怨扱いされてる降谷さんも
それらが大したことではないように描かれるのも、なんて人権がない……あんまりだよ……。


いやさあ舞台装置・シナリオのための駒でしかないキャラがだめかというと
そんなことはない、むしろ好き。

でもそれはその舞台・シナリオがバッチリキマってて
キャラもひとりひとりがその役割を果たしてたらの話であって……。

ただキャラの信念を歪まされ消費されてたらもっと大切にしてくれ。
せめて物語としての整合をとってくれ……と言いたくもなります。